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世界で活躍するアスリートが愛用する西川AiR(エアー)をはじめ、専門店オリジ ナルの&FREE整圧マットレス、
羽毛ふとん、まくらなど、展示アイテム全てを心ゆくまでお試しいただけます。
2017年4月、17年間勤めた旭川市役所を退職し、四代目として家業を継ぎました。
100有余年に渡り旭川の歴史と共に歩んできた穴口ふとん店を、何とか次の世代に繋ぎたい、その一心でした。
いざお店に入ってみると、代々受け継がれてきた伝統と信頼のありがたみ、そして老舗を背負う責任の重さを痛感する毎日でした。
今のお店の姿は、私が日々お客様と接し、お褒めの言葉やお叱りを頂戴する中で、少しずつ自分が思う理想の形に近づけてきたもの~言わば私自身の集大成です。
穴口ふとん店は、これからもお客様と真摯に向き合い、眠りを通じて日々の暮らしの質を向上させるべく、誠心誠意務めることをお約束します。
株式会社 穴口ふとん店
代表取締役 穴口 順也
株式会社 穴口ふとん店
代表取締役 穴口 順也
創業明治32年、旭川市1条通5丁目で穴口ふとん店は創業した。創業者の穴口金二氏は富山県の出身。「詳しい資料は残っていないが」と前置きしたうえで、「移住当時は薬を売っていたようだ」と穴口社長は話す。
明治30年代当時、旭川市1条通は、メインストリートとして様々な店が軒を連ねていた。現在の大橋のたもとに今も残る駅逓(開拓のために北海道に渡ってくる人や、旅をしている人に宿泊所として、または人や馬を貸し出したりということをしていた場所で、郵便の業務も取り扱っていた)から、1条通を通ってまちの中心部、さらにはその奥まで、馬や馬車が通り、多くの人出があった。
旭川市史によると、明治24年当時、今の1条通1丁目~5丁目付近には、宿屋、湯屋、理髪屋、柾屋、指物屋と共に、荒物、呉服、菓子、金物、麹などを扱う店が並んでいた。こうした商店も、今はそのほとんどが姿を消し「残っているのはうちと数件ほど」と穴口社長は言う。
明治31年に鉄道開通となり、翌32年には第七師団(陸上自衛隊北部方面隊第7師団)が設置された北海道旭川市は、急速に人口が増えてまちは大きく発展した。特に鉄道の開通による商圏の拡大が、まちの発展の大きな要因となった。
明治31年以降、旭川を起点として、日本海・太平洋・オホーツク海の沿岸に向けて、内陸部を覆うように鉄道網が敷かれていった。それまでは、道北、道東への経路は沿岸沿いで、小樽や函館の商人によって支えられてきた北海道経済の一翼を、旭川が担うようになった。
このような経済の活況の中、穴口ふとん店も大きく商圏を拡大していった。
1943年(昭和18年)
現在の地で営んでいた当時の店舗前。
1976年(昭和51年)
創業77周年と店舗改築記念
穴口昭三社長は現在76歳。創業から数えて3代目となる。北海道大学を卒業後、店を手伝っていた母親が病気になったこともあり、他企業に勤めることなく家業であるふとん店を継いだ。
店を継いで半世紀以上、この間に扱ってきた商品は大きく変化してきた。かつては、枕はそば殻が主流。布団は、わた布団。打直しのお客様も多かった。同店では、今も打直しに対応しており、専用の工場もある。「週に何回かしか稼働しない、経営的には効率の悪い工場ですが、先代から『時代が変わっても工場はちゃんとやるように』と言われており、お客様の要望がある限りは応えていきたい」と穴口社長は言う。
現社長の代に大きく飛躍するきっかけとなったのが、旧国鉄の指定店となったことだった。道北一体で販売会を行い、「東京西川」ブランドの寝具は飛ぶように売れた。「このときのお客様の中には、今も当店を訪れてくれる方がいらっしゃる。ありがたいことです」と穴口社長は話すが、まさにそれは、品質の良い商品を誠実に販売すれば、顧客がついてくるということにほかならない。
最新の寝具や「完全オーダーまくら」が主流となっている今も、「専門店として、お客様の様々な要求に応える」という同店の姿勢は、一貫している。例えば、今も布団や座布団を家庭で作る人がおり、そのための針や糸などを求める人には、工場で使う針や糸を提供している。
店には、オーダーまくらのサンプルや高級寝具が並ぶ一方、昔ながらのそば殻枕や「コドモわた」などが並んでいる。
工場でのわた布団の打直しやリフォームと並んで、羽毛布団のリフォームやオーダー羽毛布団の注文も受けている。羽毛専用の機械とミシンを備えており、洗濯してから解体して、新たな側を選ぶことができ、これも専門店ならではと喜ばれている。
長い年月、布団の打直しを行ってきた
自社工場は今も稼働している
経営者から一転、巧みな技で
職人の顔を見せる穴口社長
3年前には店舗を新築。気軽に店に入りやすいようにと店舗横に駐車場を作り、店内の展示も東京西川のアドバイスを受けながら、顧客がくつろぎながら商品を試したり、選んだりできるように工夫をした。
一般的にふとん店というと、主婦の顧客が多いかと思いきや、穴口ふとん店には、若い男性が一人でオーダーまくらの相談に来たり、高齢の夫婦がより快適な寝具を選びに来たりと、輻広い年代の人が訪れる。
穴口社長は、「80歳までは現役で店をやろうと思っていた。その後は、誰か継いでくれるも良し、もしいなければ店を閉めても良い」と考えていたと言う。しかし、2年前、頼もしい後継者が決まった。次男の順也さんだ。
順也さんは、昭三社長と同じく北海道大学で学び、卒業後は旭川市役所に就職。いくつかの部署で働いた後、家業を継ぐため、惜しまれつつ40歳で退職した。この決断を、父は多いに喜んだ。
今年4月に社長に就任予定の順也さんには、目指すべき明確なビジョンがある。それは、「120年続いてきたという実績を力にし、オンリーワンの専門店として進化しつづけること」だ。
順也さんは、東京西川の商品開発のメンバーの一人にもなっている。全国各地の若手ふとん店の経営者と意見を交換し合い、市場を調査するなど、積極的に活動している。
写真左)穴口順也さん
寝具はニトリや無印商品などの他、ネットを含めて様々な販売店があるが、順也さんは「うちの強みは、実際に布団や枕に寝て試した上で、納得して購入していただけること」と語る。
120年の歴史の実績と、品質の良い商品を扱ってきた自信に裏付けされた言葉だ。海外旅行が趣味という順也さんは、海外の知人や旅行者にも日本の高品質な寝具を知ってもらおうと取り組んでいる。
120年の歴史をもとに、これから穴口ふとん店がどのように進化していにくのか、関心が尽きない。
特別掲載
旭川商工会議所季報くりえーと Vol.601号(2019年4月)
※肩書き等は 当時のものです